パプアニューギニアの歴史

パプアニューギニアでは、およそ5万年前に存在したと思われる人類の痕跡が発見されてます。発見された先住民族は、およそ5万年から7万年前のアフリカ人を起源とする東南アジア人だと推測されています。ニューギニア(以前の名称)は、アフリカ大陸とユーラシア大陸に現代人が居住後、次に人類が居住した陸地の一つと言われ、オーストラリアと同時期に人類の居住が始まったと言われています。

紀元前7,000年頃よりニューギニアの高地で農業が独自に開発され、独自の農作物が栽培されたと考えられています。およそ2,500年前、海岸地域に多くのオーストロネシア語圏の人々が移住し、陶器作り、養豚、および独自の漁業技術を広めました。また、およそ300年前にさつまいもがニューギニアに入ってからは、収穫量が増え、伝統的な農業も変革をとげました。これにより、さつまいもがそれまでの定番であったタロイモの生産量をはるかに超え、高地の人口も大幅に増加しました。

16世紀初頭、南太平洋を航海中に最初にパプアニューギニアを発見したヨーロッパ人は、ポルトガル人とスペイン人と言われています。1526-27年頃、ポルトガル人のドン・ジョルジェ・デ・メネセスがパプアニューギニアの主となる島を発見しました。その後約170年間、ヨーロッパ人の航海士がパプアニューギニアの島々を探検しましたが、19世紀後期に至るまでパプアニューギニア人についてほとんど知られることはありませんでした。

1884年、国の北半分はドイツの支配下となり、ドイツ領ニューギニアと呼ばれるようになりました。ヨーロッパでココナッツ油のニーズが高まるにつれ、当時、太平洋地域で最大の貿易会社であったハンブルグのゴドフロア社は、ニューギニア諸島でのコプラの取引を開始しました。1884年、ドイツは正式にニューギニア島の東北部の統治をすることになりました。そして1899年、ドイツ帝国政府は領土を直接統治することになり、ドイツ領ニューギニアとして知られるようになりました。1914年、オーストラリア軍は、ドイツ領ニューギニアを占領し、その後1921年までオーストラリア軍により統治されました。

1920年、英国政府が、オーストラリア連邦に代わって、国際連盟よりニューギニア領土を委任統治する権利を受けました。その後1941年12月に日本軍が侵略したことでオーストラリアの統治は途絶されました。1945年に日本が降伏すると、パプアとニューギニアの民政が復元され、パプアニューギニア行政法により、1945年から1946年にかけてパプアとニューギニアは統合され、パプアニューギニアが誕生しました。

1884年11月6日、ニューギニアの南沿岸エリア(パプアと称されるエリア)とその近隣諸島はイギリスの保護領であると宣言されて、1888年9月4日にイギリス領ニューギニアと呼ばれる保護領が完全統合されました。そして1902年にはオーストラリア連邦の支配下に置かれました。1905年にパプア法が成立し、イギリス領ニューギニアはパプアという領土となり、1906年より正式にオーストラリアの統治が始まりました。

1941年に日本が島の北部に侵攻しポートモレスビーに前進し始め、それまでパプアはパプア法の下で行政管理されていましたが、民政が途絶しました。第ニ次大戦中はパプアはダグラス・マッカーサー最高司令官が司令部本部を置いたポートモレスビーから軍事政権で支配されました。前述したように、日本の降伏後、1945年から1946年にかけて、パプアとニューギニアが統合し、パプアニューギニアが誕生しました。

第一次世界大戦中、パプアニューギニアはオーストラリアに占領され、イギリス領ニューギニアと呼ばれていた南部地域が1904年にパプアとして再命名されました。第一次世界大戦後、オーストラリアは国際連盟によって、旧ドイツ領ニューギニアを統治する権限を与えられました。

一方パプアは1975年以降法的にはイギリスの領土とされていましたが、オーストラリア連邦の外部領土と見なされていたため、1975年の独立以降の法体系に大きな問題を残しました。上記の違いの為、法的にはパプアもニューギニアも同じオーストラリアの統治下であるのに変わりはありませんでしたが、パプアとニューギニアは完全に別々の行政が行われるという状況になりました。

ニューギニアの戦い(1942年-1945年)は、第二次世界大戦の主な戦いの一つでした。約216,000人もの日本、オーストラリア、アメリカ合衆国の兵士、水兵、航空兵がこの大戦中、戦死しました。第二次世界大戦後、パプアとニューギニアの二つの領土は統合され、後にパプアニューギニアと呼ばれるようになりました。パプアの行政は国連の監督下のもと、オーストラリアに委託統治されました。

その後1975年にパプアニューギニア独立国として独立を果たしました。

重要なお知らせ

【PNG出国時Green Fee開始のお知らせ】
現在PNG出国の際にGreen Feeと言う名目で50キナ(または$US12)が課されます。
出国の際、現金またはクレジットカードでお支払いください。
尚、基本的には下記のカテゴリーの方は免除されます。
パプアニューギニアの旅券保持者 航空会社、船会社の乗務員、外交官、軍関係、12歳以下の子供、トランジットの場合(12時間以内の乗継ぎ)等
【PNGDAC(デジタル入国カード)開始のお知らせ】
2025年10月1日より、紙の入国カードに代わり、パプアニューギニアへの渡航者にデジタルで入国の登録が義務付けられました。
下記ウエブサイトにパソコンかスマホでアクセスし、パプアニューギニアに入国する予定日時の72時間前から当日入国日までの間に登録を済ませるようにしてください。
(登録済みのコンファーメーションを保存しておいてください。)

https://pngdac.ica.gov.pg/sbs-dac-ui/#/home

万が一事前にオンライン登録がお済みでない場合、空港のアライバルエリアの端末でも入力が可能です。
また当面移行期間中は、従来の紙のアライバルカードも入手可能です。
大使館の閉館日のお知らせ

<大使館 年末年始スケジュール>
・2025年12月22日(月)~2026年1月4日まで閉館いたします。
・ビザの申請につきましては12月12日(金)までに申請お願い致します。
・ビザの受取りは12月17日(水)が最終日となります。
・来年ビザの受付は1月6日(火)からとなります。

<1月>
1月12日(月)成人の日

ビザ申請についてご案内

<ビザ申請/受領の曜日について>
週3日、火曜日、水曜日、金曜日(祝日を除く)となっております。
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(受領時間)14:00-15:00

※ビザに関するお問い合わせもできるだけビザ受付日にお願いします。
※ビザ申請より発給まで約一週間かかります。

ビザ料金

商用シングルビザ
36,000円(大使館発給手数料を含む)
商用マルチビザ
60,000円(大使館発給手数料を含む)
観光ビザ
6,000円(大使館発給手数料として)
その他ビザも大使館発給手数料として6,000円頂戴いたします。

  • 日本国籍で一般旅券保持者の方もポートモレスビーの空港にて、アライバルビザ(ビジター観光ビザ)の取得が再開致しました。アライバルカウンターでの行列、混雑が予想される為、できるだけ事前にビザ取得されていくことをお勧めします(2025年12月19日更新)。
  • 日本国籍で外交・公用旅券保持者に限り2023年9月末よりポートモレスビーの空港にてアライバルビザ取得が可能となりました。
    こちらをご参照の上、渡航の際にはリリースを印刷してご持参されることをお勧めします。
E-ビザ申請について

オンラインで直接PNG移民局に申請も可能です。オンラインでのビジタービザ申請の際には基本的に銀行残高証明書(英文)のアップロードが必須となります。

オンライン申請:https://ica.gov.pg/